「わしも得心がいかぬ……が、おまえのことじゃ、気は変わらぬであろう。ならばせめて忠信様とこれから先のことを話すべきであろう。何かしら道があるはずじゃ」
三郎が、門を何度も振り返る。
イダテンの性分から、いつまでも待ちはせぬと思っているのだろう。
確かにその通りだ。
だが、老臣には伝えておかねばならぬことがある。
姫の顔色が悪いことに気がついた。
もともと体が丈夫ではないと聞いている。
具合が悪いのかと聞くと、
「……もう、大丈夫です」
と、言葉を濁した。https://share.evernote.com/note/db5e7b03-b4b5-e100-ddc9-12a3849cf72b https://blog.udn.com/79ce0388/181353523 https://classic-blog.udn.com/79ce0388/181353590
そこへ、何ともあわただしい足音とともに真っ蒼な顔をした雑仕女が息を切らし、駆け寄ってきた。
あせりからか足がもつれ、足駄を飛ばしながら派手に転んだ。
砂と血にまみれた雑仕女の手を取ろうとする姫を遮るようにヨシが間に入る。
すがりつくような表情の雑仕女の目から涙がこぼれた。
「姫様、『美夜』殿が……」誰のことを言っているのかと思ったが、黒い唐猫に、そのような名をつけたと言っていたことを思い出した。
雑仕女の取り乱しように、姫も不安を隠せなかった。
「なにごとです」
「……毒を、毒を盛られたと」
その場にいたすべての者の表情が凍りついた。
ヨシや姫の怯えはミコにも伝わったようだ。
ヨシの後ろに回り込んで腰にしがみついた。
遅れて女房の一人が到着した。
それが事実であることは顔色が物語っていた。イダテンは、姫に問うた。
「国司はどこだ?」
唐猫のことで頭が回らないのだろう。
姫は、それを咀嚼できなかった。
「宗我部国親様と紅葉をめでると……」
「居場所を聞いておる」
「あれに……」
震える指の先には行者山があった。
山腹には七つもの伽藍を持つ、鄙びた地には過ぎた寺がある。
関白であった姫の祖父の寄進によって再建されたという薬王寺だ。
直線で一里。
道なりに行けば一里半(※約6㎞)近くあろう。
老臣は何をしていたのだ。
あれほど疑っていた宗我部国親のもとに主人を向かわせたというのか。
相手がその気なら、多少の警護を増やしたところで役には立つまい。
一人残らず討ちとって山賊に襲われたとでも届ければよい。
毒は、国司と姫が誘いに応じなかったときのために用意しておいたのだろう。
隠していた物を猫がなめた、と考えれば辻褄も合う。
「それは……」
信じたくないのだろう。
「薬王寺は、おれが覗いてこよう」
「ですが……」
「おれより早い馬はどこにもおるまい」
血の気の引いた姫の肩を支えたヨシを見て続けた。
「甕はもとより、誰ぞに命じて水汲み場の井桁も塞いでおけ。調べ終えるまで一切水は飲ませるな。食べ物もじゃ」ヨシもようやく毒の持つ意味に気づいたようだ。
声を詰まらせる。
「そのようなところにも……」
「早よう戻れ!」
姫とヨシに喝を入れる。
ヨシが、ぐずるミコを。
女房が足元の定まらぬ姫の手を引いて邸に戻るのを見て三郎に向き直った。
わかっている、とばかりに三郎は応じた。
「おう! 川魚を捕らえてくれば良いのじゃな?」
川魚を入れた桶に、甕や水汲み場の水を入れてみれば毒が入っているかどうかがわかる。
わしは頭が悪いと口にするが、決してそのようなことはない。
自分には別の仕事が与えられると察して、この場に残っていたのがその証だ。
三郎の言葉を聞きながら、イダテンは天神川に目をやった。
そして、思い出した――黒い煙の作り方を。
「それよりも先に戦(いくさ)支度じゃ」
「戦?」
「次に狙うは……この邸だ」
姫の首を獲らねば安心できまい――という言葉を飲み込んだ。
三郎の顔から血の気が引いた。
「すでに国司様が討たれたと言うか?」
「見ろ、あれを」
イダテンは、高く上がる煙を指差した。
「野焼きであろう」
「あれほど黒く、高く、まっすぐに上がる煙を見たことがあるか?」
三郎の目が見開かれる。
「狼煙(のろし)だというのか?」
「書物にあった。狼の糞を燃やすと、良い狼煙になると」